信濃国飯田藩領(現長野県飯田市)の都市と農村を対象として、人々の暮らしと
山林がいかなる点で結びついていたかの具体的検討をふまえて、山林用益をめぐ
って形成された地域秩序の構造と変容過程について明らかにし、さらにそれが地
域社会全体の変容過程といかにして関連を持つのかを考える。また以上の考察に
基づいて、近年近世史研究においてさかんに論じられている地域社会論の問題点
を指摘し、あらたな展望を探る。
戦後日本の技術発展に大きく貢献した外国技術の導入については、主として
外資法に基づく技術導入契約の重要性が指摘される。本報告ではこれとは
異なる経路で日本にもたらされた外国技術の意義を検討したい。第二次世界
大戦終結直前の時期から数年間にわたって連合国軍は枢軸国、主として
ドイツにおける技術調査および技術資料の接収を実施し、その内容を
レポートの形式で全世界に公開した。日本にも1950年頃から様々な人物や機
関を介して、それらの情報がもたらされ、とくに一部の化学産業では戦後復
興のための重要な技術資料として活用されることになった。
「第一次世界大戦後のドイツにおける労使関係と労働組合の「組織問題」」
[参考文献]
枡田大知彦 『ワイマール期ドイツ労働組合史―職業別から産業別へ―』
立教大学出版会、2009年
両大戦間期の総合商社では三国間貿易の拡大や企業破綻の増加によって
取引先信用に関するリスク管理がきわめて重要な意義を有するようになって
いた。本報告ではアメリカやオーストラリアの接収資料を用いながら、当該期
における総合商社のリスク管理制度の展開を検討する。
本報告の目的は、1914年10月の熊谷−秩父間の開業後から1930年頃に
かけての秩父鉄道株式会社の経営展開の検討から、地方鉄道会社による
経営の安定化を目指した主体的な事業展開の一端を提示することにある。
秩父鉄道の貨物輸送の中心が、砂利から石灰石、またセメントへと推移して
いく状況を示すとともに、その背景となる秩父セメント株式会社の設立の経緯、
および操業後における両社の関係を明らかにする。
本報告では、まず、日立製作所日立工場の急拡大と、日立製作所
の協力工場の出現について触れ、これらの影響で生じた人口の急増の
様子について概観する。そして、この変化に対応する形で進められた都
市基盤整備(道路の改良、社宅や国民学校の建設)に関して、都市
計画審議会の審議や農地転用に関しての農林大臣等への届出書類
などから検討を加える。以上の検討を元に、この時期を日立市の「企業
城下町」化の端緒として位置付けたい。
戦前の日本では、地域によって労働市場の動向には大きな違いがあり、なかで
も後進地域の労働供給の動向は未解明の問題として残されている。そこで本稿では、
工業化が進展せず農業生産力も相対的に低位にあった秋田県北部に焦点を当て、
第一次大戦期前後の家事使用人の雇用動向を分析し、労働供給の動向がどう変化
したかを明らかにした。第一次大戦期以前の秋田県北部では、家事使用人の雇主は
下層の娘たちを働き手として容易に雇用できたばかりでなく、その給金は一向に上昇
しなかったから、労働供給は無制限的であった可能性がある。だが、この地域では、
第一次大戦期以降、稲の反収が急速に上昇した結果、下層の農家は、娘たちを
世帯内にとどめ、耕作規模を拡大すれば家事奉公と同程度の収入を得られるように
なった。そのため、家事使用人の雇主は、人手不足に見舞われ、以前よりもはるかに
高い給金を提示して働き手を雇入れる必要に迫られた。このことは、後進地域では、
農業生産力の上昇に支えられた地域内の経済発展によって、農業部門から非農業
部門への労働供給が制約され、制限的労働供給が顕在化したことを示している。
[要旨]
炭鉱職員の存在形態や職務行動の特徴はこれまでの炭鉱労働史では
研究テーマとして取り上げられることがなかった。本報告は、その欠落を埋
めるために、戦後北海道の大手炭鉱を対象に、彼らの属性と職務内容を、
教育資格と結びついた職務配分の在り方や人事管理、採炭作業における
鉱員との分業関係に焦点を当てて検討する。その分析を通して、職長制
度の未確立という炭鉱特有の問題が石炭産業の経営に与えた影響につ
いても考察したい。
※社会科学研究所経済制度史研究会と共催
[要旨]
本報告の課題は、1920年代から現在までの
世界経済におけるエネルギー効率
の趨勢を概観することである。
1970年頃まで、主要国のエネルギー効率はバ
ラバラの方向に動い
ていたが、石油危機以降、アメリカを含む先進国と東アジア
の高度成長国(中国を含む)のエネルギー効率が改善し、世界経済はエネルギー節
約型の発展径路へ急速に収斂した。もっとも、現在なおその波に乗れない発展途
上国も少
なくない。こうした長期趨勢の要因と背景を考えてみたい。
[参考文献]
坂巻清著 『イギリス毛織物工業の展開:産業革命への途』(日本経済評論社2009年)
13世紀のイングランドでは、多くの農民が、領主直営地で賦役労働を行うという条件で土地
を保有していた。こうした賦役借地契約 labour-service tenancy contracts の発生につい
ては、 Sadoulet (1992) がラテンアメリカの事例に即して、貧しい農民の地代支払い能力の
限界 limited liability を要因として指摘している。しかし、中世イングランドにこのモデルを適
用することはできない。なぜなら、賦役労働を行う農民の多くは「豊かな」農民だったからであ
る。問題は、なぜ農民が貧しいかでななく、なぜ農民が「豊か」であったか、である。すなわち、
人口圧力が強く、土地が希少な経済で、なぜ、領主は賦役を行う農民に大規模な保有地
を与えたのかを問わなくてはならない。中世農民が大規模な土地を保有した原因としては、
しばしば、犂耕家畜を飼育する必要性があげられる。しかし、それだけでは十分ではない。な
ぜなら、犂耕の多くは領主の従属民 famuli によって行われており、かつ、農民が行う賦役
の多くは家畜を用いない労働だったからである。だとすれば、領主が、農民に大規模な保有
地を与えたのは、家畜だけでなく、賦役を行う人間そのものの能力を維持するためではなかっ
たのか、と考えられる。栄養摂取が労働者の能力work capacityにあたえる影響を与は、今
日の発展途上国研究でしばしば指摘されている。本報告では、これを応用し、中世の賦役
借地契約の経済モデルを構築し、そこで、得られた知見を、史料(Hundred Rolls, 1279)に
基づいて数量的に検証したい。
大恐慌、総力戦、占領、占領後とつづく1930−50年代は、日本の生活保障に
地殻変動が生じた時機にあたる。従来、この時期の生活保障をめぐっては、戦前
労働運動、産報、戦時労働政策を前提にした、占領下の労働運動とかかわる
生活給(電算型賃金)の成立と普及に注目が集まっており、主に雇用労働が議
論の対象とされてきた。ここではもう1つの局面として地域社会をとりあげる。1930
−50年代に至る地域社会では、厚生省、保健所―保健婦、国民健康保険
制度、医療、生活改良、社会教育を接点とした、独自の生活保障の仕組みが
形成されたのであり、それをここでは福祉国家と区別して「福祉社会」と呼ぶことに
する。本報告は、地域における「福祉社会」の形成過程の具体的検討と、その
ことを通じて「生存」の含意を考察することの2つを課題とする。ここで「生存」とは、
労働、生活、生命を含む概念であり、この概念の有効性について提起してみたい。
東京市内では、第一次大戦期頃から「小運送設備の不完全と料金の不廉」
がしばしば議論され、関東大震災後には小運送問題として認識され、その解決
が図られていくようになった。小運送問題には、小運送設備の問題と小運送
制度の問題があった。前者は貨物駅の整備や小運送手段の整備、後者は
小運送業者の公認制度や合同政策などの問題として現れる。そこで、本報告
ではこうした問題を、建築材として東京市場において重要な位置を占めるように
なった木材の輸送を事例に検討してみることにしたい。
東洋棉花は三井物産棉花部を継承して1920年に発足し、
いわゆる三綿の一つとして綿関係品取引で活躍、子会社南部物産・南部棉花を
通じて米綿取引を行った。
米国接収文書・東棉旧蔵史料などにより、産地直買い、三国間貿易、米国店の
損益動向、紡績への販売をめぐる商社間競争と協調など、従来十分には解明さ
れて
いない綿関係商社の諸問題を検討したい。
Do markets in less-developed countries abate consequences of climate stress?
Rainfall is an important factor in rice production in Indonesia. This paper
uses changes in regional rice prices across the 19 residencies in
less-developed Java to assess how rice markets responded to variations in
rainfall during 1935-1940. It finds that rice markets were highly integrated
across Java. The El Nino-induced episodes of lower than usual rainfall in
1935 and 1940 did not have a negative effect on levels and variations in
regional rice prices, nor did they have adverse consequences for the supply
of rice. Adaptive responses of firms specialising in the trade of rice are
likely to have mitigated regional deficiencies in food production caused by
climate stress.